1回目の挑戦が失敗した原因は、イケアの資本不足から、日本の社会に対する深刻な理解の欠如まで多岐にわたりました。狭い住空間(Small space living)で暮らす都会の住人に、3人用のソファや背の高い本棚を販売するのは非常に難しいことだと、イケアが気づくのはずっと後になってから。お客さまが購入した家具を、お客さま自身に家まで運ばせ、組み立ててもらう……多くの日本人はこれを、失礼で不愉快なことだと感じたのです。
2005年頃にイケアストア1号店をオープンする予定でしたが、イングヴァル・カンプラードは当時のイケアの責任者であるアンダッシュ・ダルヴィッグに手紙を書き、焦りは禁物だと警告します。イングヴァルは日本のことを、「特に品質の面で、多くの配慮を必要とする特別な市場」だと考えていました。 また、1970年代にイングヴァル自身が経験したことを根拠に、アンダッシュたちが「正しくスタートを切ることが大切だ。前回は最初の時点で、既に大きな失敗をしていたんだから」とも書いています。 イングヴァルは、サービスレベルを「かなりの程度」引き上げるという点において、イケアが日本から学ぶべきことは大いにあると考えたのです。